「信じる力」は能力ではなく“姿勢”である
学歴、資格、売上、実績。私たちは日々、「どれだけできるか」で評価される。成果を出し続けなければ認められず、少し立ち止まればたちまち取り残される。そんな息苦しさを感じたことはないだろうか。
飯塚秀夫氏の言葉は、そんな現代社会への静かな問いかけだ。
「他人を信じることも大切だが、その前にまず、信じられる人間にならなければならない。」
能力を磨け、スキルを高めよ、と言われ続ける日々の中で、この言葉は妙に心に引っかかる。ここで語られている「信」は、交渉術でも処世術でもない。人としての姿勢そのものだ。
じゃあ、信じられる人間って、どんな人だろう。
特別な才能がある人だろうか。違う。約束を守る人。嘘をつかない人。後始末をきちんとする人。損得よりも、正しいかどうかで判断する人。派手じゃない。SNSで称賛されるわけでもない。でも、人は見ている。日常の振る舞いを、無意識のうちに見ている。そしていつか、「あの人なら大丈夫だ」と思うのだ。
信用は一日で手に入るものじゃない。能力の証明書でもない。日々の行動が積み重なって、やがて「この人なら」という感覚になる。飯塚氏が「信さえあれば、利益は後から必ずついてくる」と語るのは、きれいごとじゃなくて、長年の実体験から来ている。利益を先に追えば、信は壊れる。でも信を守り続ければ、人が集まり、仕事が集まり、結果として利益が生まれる。これは理想論じゃなく、経営の真理なのだろう。
能力主義社会は「何ができるか」を問う。でも倫理が問うのは「どう在るか」だ。
飯塚氏は言う。損か得かで物事を判断するな、と。正しいかどうか、義にかなっているかどうかで判断しろ、と。この視点に立つと、信とは他人に向けたものじゃなくて、まず自分自身に向けた規律なんだと気づく。自分は嘘をついていないか。約束を軽く扱っていないか。見ていないところで手を抜いていないか。そういう問いに、毎日どう向き合っているか。それがその人の「信」になる。
「天が見ている」という言葉がある。誰も見ていなくても、天は見ている。だから拾う。だからやる。だから誤魔化さない。この内なる監視は、外からのルールより強い。外部のルールで縛られた人間は、ルールが緩めば崩れる。でも内側に軸を持つ人間は、環境が変わっても揺らがない。
能力は衰える。体力も記憶力も、若い頃と同じではいられない。でも姿勢は違う。誠実さ、謙虚さ、感謝、約束を守る姿勢。これらは年を重ねるほどに深まっていく。だから89歳になっても「私は青春です」と言えるのだろう。それは若さの誇示じゃない。信を積み重ねてきた人だけが持つ、内側から湧き上がる生命感覚だ。
私たちはつい、「信じる力」を対人スキルだと思ってしまう。でもそうじゃない。信じる力とは、自分が信じられる存在であろうとする姿勢の積み重ねだ。能力主義社会の中でこそ、この姿勢は際立つ。数字では測れず、資格でも証明できないけれど、確実に人の心に残る。それが「信」だ。
信じられる人間になる。
遠回りに見えるかもしれない。でもその道を歩み続けた人の人生は、結果として最も折れにくく、最も豊かだ。飯塚秀夫氏の言葉は、成果に追われる私たちに問いかけている。本当に磨くべきものは何か、と。


